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橋本努の音楽エッセイ 第17回 「「生の真実」と向き合う勇気がないと聴けない」

 

雑誌Actio 201011月号、22

 


 20世紀前半を代表する作曲家、アーノルド・シェーンベルク。その絶望的なまでに迫力にみちたオラトリオ(宗教的音楽劇)に衝撃を受けたのは、小生が二十歳のころだった。1987年のこと、CBSソニーから、ピエール・ブーレーズ指揮、BBC交響楽団による『シェーンベルク作品集』(3CDs)が発売されると、翌年のFMファンなどで紹介され話題を呼び、私もなけなしの金をはたいて買った。さっそく聴いてみると、一枚目の「ヤコブの梯子」からして、まったくの暗黒の世界が広がっているではないか。この暗雲ただよう精神の抑圧状態はいったい何なのか。あまりの真剣勝負の芸術に、耳が釘付けになってしまった。

 こんなに深刻な音楽を気軽に聴けるはずがない。聴いたら最後、夢でうなされる。つい先日も夢のなかで、私は深刻な生の真実に直面してしまった。かくして本当に「生の真実」と向き合う勇気があるときにだけしか、この作品に耳を向けることができないでいる。

 最近になってソニーは、この80年代の名盤をさらに廉価な増補コレクション(5CDs)として発売した(Boulez conducts Schoenberg I, Sony Music, 2009, HMVの特別価格で約2千円!)。70年代から80年代にかけて活躍していた、作曲家で指揮者でもあるブーレーズによる、前衛音楽の最先端。それがいま、こうして歴史的な録音として廉価に売られているのだから、文化の厚みと流行の速度はいよいよ増すわけである。私もまた、青春時代のあの覚醒された感覚を奮い立たせるべく、新たに買い足してしまった。あまり聴かなくても、手元にCDがあるだけで、エネルギーが湧いてくる。これはある種の信仰のようなものだ。

 「ヤコブの梯子」は、シェーンベルクが当時、オーストリアの陸軍兵士として、二度の兵役の課されたあいだに作曲されている。ソリスト、混声合唱、オーケストラのための作品で、死に直面したシェーンベルクが、その狂気を宗教的に昇華した傑作といえる。むろん作品は未完成で、彼は1922年に、画家のカンディンスキーに宛てた手紙のなかで、「いっさいの思考やエネルギーや理念を無力にする新しい困難」について語っている。シェーンベルクは、この作品を創作するにあたって、まず台本を執筆し、その台本を私的な演奏協会で朗読した。ところが作曲のほうは、なかなかはかどらない。1944年の秋になって、ふたたびこの作品と向き合い、オーケストラの部分を書き進めたものの、最終的には未完成のまま、1951年に77歳の生涯を閉じた。その後は弟子のツィリッヒが、残された楽譜を元に捕作した。作品全体が初演されたのは、ようやく1961年のことであった。

 「耐えられない、この圧迫……! 重くのしかかる、この圧迫! 何という、ひどい痛み! 身を焦がす憶れ……! 熱い感激……! 偽りの成就……! 暗滲たる寂しさ……! 形式への強制! 意志の否定……! 幸福を得るための嘘! 殺人、盗み、血、傷……! 所有、美しさ、享業……! 虚栄の喜び、自己の感情……!」

 「ヤコブの梯子」では、こんな調子の詩が三つの合唱団によって同時に歌い上げられるのだから、迫力満点だ。のちにナチスによって迫害された芸術家の、真実がここにある。